大道芸は態度・風采・身なり・手足や
目・声で表現、自信をもって演ずる!
(手振り身振りで表現する)
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態度 風采 人柄
がまの油売り口上は、単に話をするだけのものではない。口上だけでなく聴き手が話し手(ここでは口上士という、以下同じ)から受け取るものが態度や風采や人柄である。口上を始める前に、聴き手は口上士を目で見ている。
“拳動は雄弁に物語る。そして人々の目はその耳よりも賢い。” という言葉があるくらいであるから、人前でがまの油売り口上を演ずる時は、口上以外の態度、風采、人柄、この三つについて十分考慮を払わねばならない。
江戸時代の生業 “一人相撲”
「一人善がりの人笑わせ」はやらぬが肝心。
竹内誠監修 市川寛明編 「一目でわかる江戸時代」 小学館
颯爽と演台に臨む
「語学、風采、そして金」は、人間を評価する一つの基準かもしれない。一目見て風采の悪い人はマイナスイメージで見られがちである。汚い風采、おどおどした態度、高慢ちきな人柄は見る人の反発を買う。ビクビクした自信のない態度で演台に臨んではいけない。臆病な目つきでうつむき加減の話しをしてはならない。
聴衆を安心させて聞かせるために胸をやや張った颯爽とした態度で壇に上がる。第一印象は大切である。
聞く者がくすくす笑い出したりすると、言い出すべき言葉がとっさ出てこないことがある。演台から去る時も同じで、ゆっくり落着いて離れる。逃げるように追われるように引き下がるのは、敗北者のすること、。居合いでいう “残心” にも気を配る。
服装は時代背景にあったもの
がまの油売り口上を始めたといわれる永井兵助は江戸時代末期の人物であるから、時代考証を考えなければいけない。口上を演ずる者は背景となる時代のイメージが沸かないから浅草仲見世で袴、刀などを買ってきてい着用している者が多いが、江戸や明治時代なら本来は浪人・下層の人が行った大道芸であるので、それに合った服装が望ましい。
殿様スタイルはややナンセンスである。今は“芸”に力点が入った“大道芸”であから、やむを得ないか・・・・。
ただし、身なりを繕うのは、おしゃれとは違う。相手に対する礼儀であり、同時に自分をきちんと守る心構えの現れである。よごれたワイシャツ、無精ひげ、ヨレヨレのズボン、それで立派なことを言っても職場であれば馬鹿にされる。口上を演ずるときも、このようなことに留意しなければならない。
目の生かし方
演台に来て、すぐしゃべり出すのは初心者のやること。小道具をシッカリ確認し、ゆったりとした態度で、一渡り集まった人を眺めまわした後、口を開くとよい。ねむったい眼、うつむいた眼、あさっての方を見ている眼、皆落第である。
聞く人の目を見ない口上士の口上は、活きてこない。貴方に話しているのですよという“目”が大切である。反対に言えば、“あの人は私に話しかけている“ と思わせる”目“が必要である。馴れない人は聴き手の眼を恐れ、すぐそらせてしまう。”目“をそらせることは未熟者であることを説明しているようなものだ。真直ぐ聴き手を見ると口上に迫力が生れる。
東洲斎写楽
平凡社「世界大百科事典 2」 初版562頁
手足、ゼスチャーは、言葉に応じて自然に動かす
まず顎をひくこと、胸を張ること、顎を前へ出すのは疲れた姿でみすぼらしく見える。
「顎を出した」という俗語を思い出すことだ。人前で、顎を出してはいけない。胸を張ることは肩を後へ引くことになる。
肩を落して胸をすぼめるのは心配時の姿である。ガッカリした時、悲観した時、絶望した時の姿は、人が仰ぎ見る形ではない。この2つはふだんから心がけなければならない。
口上の実演中、演台に手を置くことはないはずであるが、貧弱に見えるから前かがみにならぬように気をつけなければならない。
自然に身についたものがあってこそ堂々たる態度が出るものだ。
手足も口から出る言葉に応じて動かすと言っていることが分かりやすくなる。「この棗を大道に置くならば・・・・」というときは、実際に地面に置くべきだ。「この旗示すがごとく・・・」という時は、その旗の方を向いてはっきりとわかるように指し示すことだ。
「津瀾沾沌玉と散る」と刀の切れ味を表現するときは、居合で言うところの袈裟切り・血振りの動作をしてもいい。今、言っていることを、動作を以って示すことが“ガマの油売り口上”である。
単なる、お話ではない。 “言・行一致” が大事である。演劇や他の人が演ずるがまの油売り口上をよく見ると参考になる。
菱川師宣 ついたてのかげ
ついたての陰では手足も声も音も自然に出せるが、
人前では場に応じて工夫する必要がある。
平凡社「世界大百科事典 2」 初版556頁
自信を持つ
態度も風采も自信があってこそはじめて生きるもの、自信がなければ態度も卑屈となり、そわそわして落ち着かない。さすれば首をうなだれ肩をすぼめ、おどおどした目付となり声はかすれるのは当然であり、風采は上りようがない。
体は人一倍小さくとも自信に溢れた人の態度は堂々として仰ぐに足り、風采は颯爽と四辺を払う。
心的態度の充実あってはじめて形の上の態度が整う。自信を以て演台に臨み、自信を以て語り、自信を以て演台を去る。かくしてその態度風采共に人を魅惑する。
声と調子
ガマの油売り口上というと、難しいもの、改まったものと考える必要はない。口上の文言は決まっており、口上で表現している情景をイメージし、そのイメージに合った声を出せばよい。
自分の声で話せばよいのである。ただ複数の人を相手に、“がまの油売り口上” をきかせるのだから、演説や座談会の話し方と違ってくる。そこに多少のコツが必要になってくる。
声の質と声の量
声の質のよい人と声の量のたっぷりある人は、使い方を工夫すればよい。しかし声の質が悪い人、例えばしゃがれ声の人はどうするか。急にしゃがれ声を、“玉を転ばす” ような声に変えることは出来ない。他の人にない味のある口上を演ずるためには。自分の声を生かすことを考えた方がよい。
がまの油売り口上に出てくるシーンに応じた声の一例を挙げると、次のようになる。
大きくて高い声・・・・・・ 鉄砲が破裂する音 (例)パーン、パーン
大きくて低い声・・・・・・ 鐘の響き渡る音 (例)ゴーン、ゴーン
小さくて高い声・・・・・・ 虎の小走り、虎走り
(例)ツカツカと 虎の小走り、虎走り
小さくて低い声・・・・・・ ガマが油汗を流す
(例)タラーリ、タラーリと流しまする。
強い声・・・・・・・・・・・・・・ 強調する場面など
(例)“グット”塗りこむというと・・・・・。
そうではござりませぬ。
弱い声 ・・・・・・・・・・・・・ 痛々しく表現する場面などで
(例)苦しむほど“痛てー”のが・・・。
場面、場面に応じて大小高低、強弱をとり混ぜることになる。むやみやたらに大きな声の連続や一本調子の声では聞く方が疲れてしまう。そこで大勢の前でがまの油売り口上を演ずるには、声量が豊かでないといけないことがわかる。声の質はなかなか変えられないが、声量は訓練によって得られる。
声量を増すには
海岸で大きな声で波濤に向って、がまの油売り口上を練習してもよい。原っぱや人のいないところで、大きな声を出す練習をするのもよい。小説でも論文でも随筆でも何でもいいから本を朗読するとよい。これならば誰でも出来る。
声を出して本を読むことは、声の鍛練になるばかりか、調子も自然と分かるようになる。これらは、声量を増すことの練習になるが、そのまま、がまの油売り口上の話し方の練習にもなる。
声を使いこなす
(1)一本調子にならないこと
のんべんだらりとした口上、のべつ幕なしの口上、はじめから終りまで声の調子が変わらない口上。これでは人は退屈するか怒り出す。そこでどうしてもがまの油口上には、声の変化が大切になる。
(2)たたみこみ
声の速度を早め、一気に突っこんだゆく話し方である。ゆっくり話して来て、或る個所に来た時、或はしめくくりの結語にその必要を認めた時これを行うと話が生き生きしてくる。ゆっくりしたところあり、早目になるところありで話に変化がつく。
(3)はっきりした発音
口の中でもぐもぐいったのでは聴きとれない。明瞭に話すことが犬切である。それには口を大きく開けなければならない。口先丈でしゃべると舌がもつれ早口になる。大きく口を開いて話せばゆっくり発音できるし、叉力強く発音できる。
“歯ぎれが良い”というのははっきりして語尾が明かな言い方をいう。語尾がかすれたり、ぼやけたりしたのでは迫力のある口上はできない。
(4)抑揚
耳に快よい話し方は、中味の良さと共にその話を完全なものにする。話は力強いと同時に美しくなければならない。それには抑揚ということが必要となる。声を抑えたり時には揚げたりすることにより、話はリズミカルとなる。
悲しい話も楽しい話も同じ声、同じ調子ではどうにもならない。文章にしてみると名文と思われないのに、言葉で聞いた時、心をひきつけられる場合がある。これは話し手のリズミカルな語り口が関係しているのだろう。
(5)力の入れどころ、言葉の切り所
大切な言葉に力を入れるのは自然であり、当然である。ここで聞かせようという所で一段声を張り上げるやり方、話しをつづけてきてボツリと言葉を切り、聞き手をハッとさせておいて、やがて言葉を再び始めるやり方、大切な言葉を語り終って暫く言葉を切るやり方、いづれも言わんとする重要な言葉を きわ立たせ強く印象させるためである。
(6)「間」が大切
話の中の空間を「間」という。語の中のしゃべらない部分でこの「間」のおき方によって話は生きたり、死んだりする。語りつづけるべきところを切ったり、切らねばならぬところをつづけたりしてはききづらい。
「間」のとり方は、話しつけていると自然にわかる呼吸で、繰り返し練習すれば体得できる。
(7)声の休め方
演説や講演では声を休めるため、話の中に巧みに物語を挿入するとよい。それを静かに美しく物語ると単調さが救われるばかりでなく、自分の声を休ませることにもなる。
大体聞き手というものは議論よりも事実を好み、事実よりも物語を好む。だから物語や逸話類を多くもつ話し手は、いつでも上手に声を休せることが出来る。ただし、ガマの油売り口上の場合、文言は決まっているから、“物語”を敢えて挿入する必要はない。
ガマの油売り口上では、話の中で言葉をく切って休むやり方がある。しかしこれは相当な訓練がいるので、ただやたらに口上の途中で黙りこんで声を休めていようものなら、忽ち聴き手から “どうした” “忘れたか” などのヤジや薄笑いが返ってくる。このため、「間」の取り方と関連付けて、く切る場所 を選ばねばならなうい。
ガマの油売り口上に要する時間
どの位の時間が聞く者の心に響くか
秘伝・筑波山ガマの油売り口上は、音の高低強弱、速いか・遅いか速さ、間の採り方、アイコンタクトなど場の雰囲気に合わせ約15、6分程度の時間で演ずると、聞く者の心によく響く。これを超すと間延びがした感じがする。
寒い冬場はや真夏で暑いときには間延びした感じを与えると、一人去り、二人去りと去っていく。気温の寒暖、風の有無など口上を演ずる時の気象条件に応じて時間の長短、口上のスピードの緩急などを塩梅したほうがよい。
腕一本の度世、しっかり修行した
藤原千恵子編 「図説 江戸っ子のたしなみ」 河出書房新社
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