筑波山神社の文化財 日枝神社の三猿
江戸城から見て筑波山が北東の方位、つまり鬼門にあたることから、鬼門封じのため徳川家康から始まった筑波山の地足院中禅寺の整備は、三大将軍、家光の時代にもっとも盛んに行われた。このため、筑波山神社の境内には、江戸時代の文化財が数々残されている。登山客にその存在があまり知られていないのが、日枝神社の三猿である。
『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節がある。こうした「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったという。
宮司さんによると日光東照宮のものより古いが、誰が作ったかは分からないとのことである。
1「不見・不聞・不言」 2
3
4 右側 日枝神社、ここに三猿がある。左奥、春日神社
5 日枝神社・春日神社の拝殿
↧
筑波山神社の文化財 日枝神社の三猿
↧