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Channel: ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。
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ガマの油売り口上、 「語られる言葉」の美・・・・・なによりもまず自分を知ること 

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書かれた言葉と語られる言葉  
 われわれ日本人は、子供の時分から、文字を眼で読む勉強を強いられたせいか、「口から耳へ」伝へられる言葉の効果に対しては、あまり関心が向かない。もちろんその他にも原因はあるが、書かれた言葉、即ち文章について批評をする人も、「語られる言葉」即ち「談話」については、案外、無関心のように思われる。  

 大学高校の弁論部では雄弁術を学ぶであろうが、ここで言おうとするのは、必ずしも、そういう限られた技術の問題ではない。物を言いはじめた子供の語る言葉にも魅力に富んでいるし、農作業で疲れた農家の人が、道ばたで取り交す会話のうちに、時として、面白い調子を発見することがある。われわれの耳の周囲には、月並な思想の月並な表現が充満していることは事実である。しかしながら、稀に、われわれの耳は、その中に、ある種の「魅力」に遭遇して、忘れ難き印象を留め、快感を覚えさせるものがある。   

 その「快感」は、その人が自分の言葉を持ってをり、そして、その言葉を自由に使っているからである。言い換へれば、いかにもその人にふさわしい言葉で、その人でなければ表せないようなものを、最も適切な時機に、最もはっきり現はしているからだ。 ここでは、この快感を名づけて「語られる言葉の美」という。  

 「語られる言葉」の美は、これを「語り手」に求むべきことであるが、自分が「聴き手」の側に位置したとき、この魅力に鈍感であるばかりでなく、更に、自分に関係なく語られる言葉の中から、第三者として、この種の魅力を素早く捉へるという訓練に至っては、最も欠けているようである。
 口上を魅力あるものにするためには、「語られる言葉の美」を数多く発見し、新しく培養する努力が不可欠である。 「語られる言葉」の美は、「書かれた言葉」の美以上に、デリケートでかつ複雑な効果をもっている。それは、人そのものの生き方に近いからである。
          

言葉と人  
 「語られる言葉」の選択と配列は、「書かれた言葉」即ち文章のスタイルに相当するものである。多くの場合、これが「話の調子」を決定する要素である。そして、その「話の調子」こそ、人の「声ある姿」なのである。「文は人なり」という格言が半分の真理を含んでいるとすれば、「話しをしてみると、どんな人間かわかる」という常識的観念は、正に九分以上の真理を語っている。 

 ある人によって「語られる言葉」が、当面の事実と心理以外、その人の年齢、性、性格、教養、職業、環境、境遇、国、時代などを反映していることは、誰でも気がつく。「語られる言葉」の魅力は、こういういろいろな条件が、その人の「語る言葉」のうちに、最も色濃く、最も尖鋭に、最も調子高く、その上最も暗示的に表現されている場合に、極めてよく発揮されるのではないかと思う。 

 われわれは、常に、周囲の人物の「語る言葉」を通して、それぞれの人の人間的魅力を感じ得ることを喜ぶと同時に、何等かの方法によって、まずその人を知り、しかる後、その「語る言葉」の美的効果を批判するのである。 

  言葉の選択が、言葉の調子を生み、言葉の調子が、その人の「声ある姿」となるにしても、ある限られた言葉の表はれによって、その人の全幅が示されるものではない。「語られる言葉」の魅力は、ある人物の一面を、最も特色ある一面を強調した「意味ある響のリズム」であり、人間の魂が何ものかに触れて奏で出る即興曲である。  

 その人の属性は、「語られる言葉」に様々な特色を与えている。男には男の言葉があり、女には女の言葉があり、老人には老人の、青年には青年の、子供には子供の言葉がある。男の男らしい言葉は、女の女らしい言葉と共に、ある種の魅力を持ち、老人、青年、子供、それぞれの年齢に応しい言葉は、それぞれ別個の「味」を含んでいる。 

 性格や気質もまた、言葉を決定する大きな条件である。強気、弱気、神経質、多血質、偏屈、八方美人、何れも、それらしい言葉をもってをり、何れも、興味の対象となるものである。

 教養の程度は、最も言葉の選択に関係し、「物の言い方」を左右する。教養の種類方面によって、その色彩は多種多様である。「語る言葉」に理知的要素を欠けば精神的な感銘を受けることが少なくなる。
 知識そのものは、必ずしも「語られる言葉」に魅力を添えるものでなはないが、“知らない”ということが、常に「語られる言葉」を醜くするものではない。「衒学的なこと」「くどさ」「固苦しさ」などは、知識を売るものが陥り易い弊であり、「単純さ」「淳朴さ」は、往々、言葉に不思議な生彩を与えることがある。   

 「ぶっきら棒な物言い」が時に好感を与え、「如才なさ」が往々反感を招くのは、「語られる言葉」と、人物の性格、教養などとの関係を語っているが、これは職業も関係している。ある職業にはその職業を反映した言葉遣いがある。サラリーマンらしい物の言い方もあれば、商人らしい物の言い方もあり、教師らしいのもあれば、職人らしいものもある。
 そのいずれをとって、ただ、それだけではなんの価値もないが、ある場合には、それが、「語られる言葉」の魅力を構成する一要素となる。

 環境と境遇、即ちある人間の「育ち」「生い立ち」は「言葉」の上にも争えない特色を残し、複雑な影響をそこにみることができる。
 家庭の構成によって著しい違いがある。例えば老人がいるのといないのと、家族の数、性別なども関係がないとは言えない。勤め人、舅、末っ子、伯母、親友、先生、知人・・・・・一寸並べてみても、そこに、それらしい言葉使いがありそうに思われる。

 国と時代にも、それにふさわしい言葉がある。東北、関東、関西、中国、九州、みなそれぞれの言葉をもっている。そして、それは、みなそれぞれの地方を特色づける文化、風土や気質に根ざす言葉である。 

 時代については、「過去」は、われわれの「耳」で聞くことはできないが、現代にしても、既に、幾つかの「時代」を画していると言える。親爺の時代、息子の時代、孫の時代等があり、親爺は、息子との年齢の相違による「言葉」の違い以外に、時代の相違による「言葉」の「旧さ」を持っている。親爺の遣う言葉は、単に老人の言葉ではなくして、実に前時代の言葉なのである。即ちこの種の人は、その「語る言葉」を通して、一つの特色ある「時代」を映しているのである。それがまた、場合によっては、意外にもわれわれの興味を惹くに足るのである。健康な人の言葉は、病弱な人の言葉とどこかで背中合せをし、酔っ払いは酔っ払いの言葉を語り、政治家は政治家らしく物を言う。  
 そして、最後に、当面の「事実」と、これに対するその人の「心理」が、「語られる言葉」の内容と表現の根本を決定するのである。

                  
話術以上の話術、心の投影      
 話術というものがある。雄弁術を儀式的、本格的なものとすれば、話術は、着流し的であり、散歩的なものと言える。いずれにしても、いわゆる「術」の「術」たる所以を発揮しなければならぬ所に、意識的な努力と効果とを計算に入れている。

 この話術なるものが、「語られる言葉」の美を豊富にしているが、われわれの日常生活は話術を演じているわけではない。また、この技術を以て職業とするもの、タレントなどの中には、その技術以外のものによって、われわれを笑わせる手合があまりにも多い。高い趣味に裏づけられた話術の妙は、われわれを恍惚境に導くには相違ないが、これは、その「技術」を体得して、その運用を誤らない才能だけに許された特権であろう。

 話術とは読んで字の如く、「話をする術」である、聴き手を感動させ、面白がらせ、自分の言葉に耳を傾けさせる一種の技術であるが、「語られる言葉」の効果は書かれた言葉のそれ以上に複雑な要素を含んでいるから、「書かれた物語」の話術的構成は、必ずしも「話される物語」の話術的構成に役立たない。

 また、「物語り風」の話術的技巧は、「対話風」の話術的技巧と一致しない。殊に、話術の「鍵」ともいうべき「聴手の心理観察」は、この技術の複雑性を一層拡大するもので、聴き手が多い時、少ない時、殊に一人きりの時、その聴き手の種類、その状態、聴き手と自分との関係、自分たちを取り巻く雰囲気、それらはみな話術の根本条件である。  

 しかしながら、この「技術」は、「技術」として遊離し、それだけが目立つような時、その効果の大部を失うもことも否定できない。甲の場合に成功した話術も、乙の場合には成功するとは限らない。

  われわれの日常生活を豊富にするものは、即ちこの種の話術ではない。意識的にもせよ、無意識的にもせよ、「語られる言葉」の魅力は、人間そのものの「味」と、その自然な表現によって、最も高く発揮せられるものだと思う。そこから「話術以上の話術」が生れるのである。
 「なんでもないことを面白く話す」のは、結局その人間の精神的な特質が、言葉の有機的作用を通して、一種の心理的快感を与えるからであり、畢竟、才気とか、熱意とか、細やかな情感とかいう心理的音符によって、最も正確に、最も鮮やかに、何物かを聴き手の耳に伝へ得た場合を言うのである。

 話術を看板にした「話」に真の魅力がないように、いかに言葉巧みに述べられても、それは退屈以上の何物でもない。
 従って、「話術」の秘訣は、何よりもまず、「自分を知る」ということであり、「自分の話術」は結局、そこからでなければ生れて来ない。



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