関東屈指の祭りの一つ「石岡のおまつり」が9月13日から始まった (9月14日の状況) の続き
石岡の祭り
祭りといえば、勇壮な男の世界をイメージするが、石岡の祭りは、若い女性や子供が男衆に交じって祭りの一翼を担っている。この祭りは近世以降に色々な要素が加わり今日まで発展してきた。延享年間(1744〜47)頃に奉納相撲が始まった。また、江戸時代後期に府中(旧石岡市街)の愛宕祭りや天王祭を賑わえた富田町のささら、土橋町の大獅子などの風流物が、近代になると總社宮の例大祭へと移行した。
さらに富裕な商人が贅を凝らした山車を取り入れ、菊花紋の大神輿とそれに供奉する行列が整えられ、現在の形になった。
石岡祭りを見るため14日、午前から夜にかけて石岡の町を歩いて回った。目抜き通りも裏通りもシャッターを閉じた店舗跡や赤錆の建物が目についた。食事をとるためラーメン屋や食堂を探したが、屋台は多数出ていたが、食堂らしきものが見つからない。
駅前に食堂らしきものが2件見あったが、それ以外はコンビニ、パン屋や生鮮食料品を売る店らしきものが見当たらない。石岡の町は、かつては「商都 石岡」といわれたが、その面影は感じられない。商店街が昔と同じように賑わっていれば、祭りはさぞかし勇壮だろうなと感じた。
長寿で少子高齢化の時代だから、とかく高齢者に目が向きがちであるが、子供や若い女性がそれぞれの力を発揮できれば町も明るくなり元気になってくる。石岡の祭りは、そのような祭りである。
幌獅子
獅子舞は全国的に見られまるが、石岡の獅子は「幌獅子」と呼ばれ、大きな獅子頭に囃子衆が乗り込む移動式の小屋が付随している。小屋は通常幅2m、奥行5m、高さ2.5mほどの大きさである。獅子頭は大きいものでは幅60cm、重さ30kgにも達し、
各町内の名手がこれをかぶり持って舞いながら練り歩く。幌は町内ごとに連なった子供たちが勇壮な掛け声をかける。
石岡囃子と山車
山車は移動式の屋台で、地域によってダンジリ、屋台、山鉾などとも呼ばれる。石岡の山車はいわゆる江戸型で、屋根のない2〜3層構造である。最上層には町内ごとに異なる2mもの人形が飾られ、巡行時は「人形守」が、刺股を駆使して障害物を避けながら進む。
人形は神武天皇や八幡太郎など、歴史上の英雄を象ったものがほとんどである。全面の舞台では石岡囃子と踊りが演じられる。台座より上は回転式で、駅前広場、御幸通りと中町通りの交差点などでは、回転しながらのお離子、踊りが見られる。また横側の羽目には人形にちなんだ物語の彫刻などが嵌め込まれている。
最下層の台座には長さ30mもの曳綱が取り付けられ、若人たちが曳きます。舵取りは梃子きりと呼ばれる若者が行い、技の見せどころである。
石岡囃子とは、總社宮の例大祭で奏でられる獅子、山車、ささらといった祭り囃子の総称である。中でも狭義には山車囃子をこう呼ぶことが多く、石岡囃子連合保存会によって保存・伝承されている。
囃子連は、大太鼓(長胴)1、小太鼓(〆太鼓)2、笛1、鉦1と踊り手による約15名で編成されるす。曲目は山車巡行の出発と終了時に奏でられる踊りなしの曲「さんぎり」の他、おかめ(四丁目)、ひょっとこ(仁羽)、きつね(新馬)がある。
おかめは女性らしい仕草に合った、ゆったりとした曲調の演目である。ひょっとこは「大笑」、「一文字」、「ベロ出し」など、滑稽な面とふるまい、リズミカルな曲調で見物客を笑わせる。
そしてきつねは最もテンポが速く、大切り、中切り、乱拍子と変化に富み、勇壮な踊りが特徴である。いずれも2人、3人と踊り手が複数登場することもあり、町内によって得意な演目や見せ場がある。
上記「幌獅子」と「石岡囃子と山車」は、『常陸國總社宮例大祭 石岡の祭り』(発行/石岡市観光協会・石岡の祭り振興協議会)を参照した。
1 石岡囃子と山車
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14 子供も”主役”
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