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筑波山神社 由来 

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           筑波山知足院中禅寺のあった筑波山神社境内 
 
  筑波山遠景 


 筑波山は江戸城の北東の奇門にあたることから、将軍家の信仰と保護を受けた。 

筑波山神社の由来  
 筑波山神社は坂東無双の名嶽とうたわれた筑波山を境内とし、万葉集に「二神の貴き御山と神代より人の言い継ぎ」と崇められているように、古代山岳信仰に始る国内屈指の古社である。

 西峯男体山頂(871m)の磐座に筑波男大神(伊弊諾尊)を、東峯女体山頂(877m)の磐座に筑波女大神(伊捧再尊)を祀る。山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地(筑波山)を御神体として拝する古代の形が維持されている。 

     男体山神社   
     
      女体山神社   
 

 筑波山を御神体と崇めまつる神体山信仰に発し、古来春秋両季に行われる御座替祭に供へまつる神衣(かんみそ)に御神霊を奉遷して御神体となす。 

 筑波山縁起によれば、当神社の創祀は遠く神代に始る。天地開開の初、諾冊二尊が天祖の詔をうけて高天原を起ち、天之浮橋に並び立ち給う、天之瓊矛(あめのぬぼこ)を以って槍海をかき探り給えば鉾の先よりしたたり落ちる潮凝って、一つの島となる。

 即ち二神は東方霊位に当る海中に筑波山を造り得て降臨し給い、天之御柱を見立て、左旋右旋して東西御座を替え給い、相対面なされて夫婦となり大八洲国及び山河草木を生み給う。次に日神、月神、蛭児命、素盞鳴尊を生み八百万神を生み給う。

 記紀に伝える「おのころ島」とは筑波山のことで、この故に筑波山は日本二柱の父母二神、皇子四所降臨御誕牛の霊山であり、本朝神道の根元はただ此山にあるのみと伝えている。

 その後 人皇の御代に入って、神武天皇の紀元元年、筑波山神社男体女体両宮が創祀され、崇神天皇の御世早くも筑波国が建置されて采女臣(うねめのおみ、物部氏)の友族筑波命が国造(くにのみやつこ)に任命された。

 成務朝の阿閉色命(あべしこのみこと)を経て大化の改新に至る まで、子孫相承けて祭政一致の制に某き世々筑波国造が当神杜に奉仕していたが、以後もまた筑波国造の称号を伝承して慶長の世に及んだ。

 景行天皇の御代日本武尊の御東征に当り、尊は当山に登拝し給いて連歌嶽の遺跡をとどめ給い、帰途甲斐国酒折宮(さかおりのみや)にて「にひばり筑波をすぎて幾夜かねつる」と御詠あり、連歌の濫しょう をなし給うた。神道歌道もと一つにて、連歌を「つくばの道」と称し、遂には日本独特の俳句を生んでいる。 

 次いで神功皇后三韓征伐の砌、敵国降伏のために御勅願あり、且つ応仁天皇御懐妊あるを以て安産を祈り給い、御凱陣の後神田を寄せ給うと共に御腹帯を当神社に納め給うた。これ当山の秘社常陸帯(ひたちおび)宮創祀の由緒で、神領民には鹿島神宮祭頭祭、御造営の料を充てることを御勅免あらせられ、鎌倉・徳川の世もまた旧慣により免ざられた。 

  降って皇極・天武両朝には圭田を奉ぜられて神礼を行はせられ、平安時代を迎えた。即ち嵯峨天皇の弘仁14年1月21日(823)従五位下筑波神、霊験顕著なるを以て宮社に列し、また文徳天皇の嘉祥3年9月26日(850)伊勢神宮、加茂神社に奉幣の時、当神社にも使を遣はして奉幣せられ(続日本後紀)。 

 以来漸次昇叙して清和天皇の貞観13年2月(871))男神を従三位、同16年11月女神を正四位下に叙せられた。更に寛平5年12月(893)両神共に一階を進められ、延喜の制に男神は名神大杜に女神は小社に列せられた。 

 醍醐天皇の延喜5年4月(905)、紀貫之は古今和歌集20巻を撰上したが、その序に、天皇の御世の長久を「さざれ石にたとへ筑波山にかけて」願ひ、その御聖徳を「広き大めぐみのかげ、筑波山のふもとよりしげくおはりまして、よろづのまつりごとをきこしめす」と述べ、筑波山が天皇の御聖代を象徴する霊山として厚く尊崇されていたことを偲ばせている。 

 武門の時代、建久2年(1191)源頼朝は安西三郎景益、上総介広常、千葉介常胤、茂木四郎義国等の武将を伴って当神杜に参詣、神領を寄進す。 

 弘安太田文に伝う、筑波社56町60歩と。また頼朝の異母弟、八田知家は筑波山麓に小田城を築き、且つ十男筑波八郎(明玄)をして筑波国造の名籍を継がしめ、筑波別当大夫に補しその支族筑波大膳を社司に任じて当神社に奉仕させた。 

 天正18年8月(1590)、徳川家康は江戸城に入城、東北にそびえる筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇め、慶長5年9月(1600))関ヶ原の合戦に大勝の後、山司筑波八郎以来の社家筑波氏をことごとく追没して家康が厚く帰依していた大和国長谷寺の別当梅心院宥俊を筑波別当に補し、知足院を再興せしめて将軍家の御祈願所となし、筑波山神社御座替祭を以て江戸城鎮護の神事と定めた。

 然して慶長7年11月25日(1602)、筑波山神領500石(大字筑波)を寄進した。 

 宥俊の弟子二世光誉も家康の信任厚く、慶長15年(1610)江戸白銀町に護摩堂を建てて常府を仰付けられ、慶長・元和の大阪夏冬の陣には陣中に在って戦勝を祈願し、大願成就の後、元和2年10月(1616)2代将軍秀忠は当山の社堂伽藍を普請した。

            家光が建てた中禅寺の見取り図  
       
               木村繁著『筑波山』 (崙書房 1977年) 
 さらに寛永9年(1632)春、3代将軍家光は新たに地を相し工を起して筑波山内の社堂伽藍をことごとく造営寄進し、同10年11月(1633)工成り輪奐の美を尽くした。 

 次いで5代将軍綱吉は知足院十一世隆光を重用し、貞享元年(1684)護摩堂を湯島に移し、更に元禄元年(1688)神田橋外に地境を倍加して宏荘な護摩堂を建立した。

 次いで元禄8年9月(1695)筑波山の本坊共々護持院と改称せしめ、元禄3年2月に続いて8年正月に都合千石(大字沼田、大字臼井の2村)を加増したので、筑波山神領は1500石となった。 

 護持院・知足院による寺領支配は江戸と筑波山に設けられた役所によって行なわれた。筑波山役所には代官が置かれ、筑波、沼田、臼井村の庄屋(村役人)を介して農民たちを掌握した。筑波町からは田畑に賦課される年貢のほか、小間物店や茶屋などの営業者に課された店年貢、山内の末社や諸堂から徴収した宮年貢があったという。     
                 (『筑波山神社』から) 

  筑波山神社造営由来記 

(碑文)
  筑波山神社は、イザナギ、イザナミ ニ神御降臨の霊山で、
  西峰に男体神、東峰に女体神を祀り筑波山神社と崇め奉る。
  世々筑波造が奉仕し、嵯峨天皇の弘仁14年正月官社となり、
  延喜式名神大社に列す。 

  慶長の始め徳川家康は、当山を以て江戸城鎮護将軍第一党の
  御祈願所と定め、寛永11年三代将軍家光は山内の諸社堂伽藍を
  悉く寄進造営し輪○その美を尽す。御神領千五百石。 

  元治元年の筑波山義挙を経て、明治元年の神仏分離の命により
  当山は神体山信仰の古制に復し、明治8年拝殿を造営す。

  その後、昭和3年4月、文部省古社寺保存課安間立雄技手の
  設計管理にて唐波風千鳥風付銅板葺入母屋造りに改修し、
  昭和30年5月男体山御本殿を改築す。  

   昭和51年5月24日、25日の両日、天皇・皇后陛下
  当山に御幸啓遊ばされ、全山を挙げて御聖代を謳歌し奉る。

   越えて昭和54年御本殿御造営奉賛会を結成して、65年の風雪に
  堪えた女体山御本殿を改築し 

   更に記念事業として95年前建築の社務所に代えて「人民集賀」と
  御神徳を称えた常陸風土記縁りの参集殿を建立して先手堂に三重塔を
  配した江戸時代の裳構の再現、

  及び百年前に亜鉛板一、仮葺きした随神門屋根の改修をはかり、
  氏子崇敬者からなの浄財寄進により左の事業を行い明治以来の
  宿願を達成す。

    神明造堂板葺     昭和55年5月竣工 
    参集殿  新築    昭和57年4月竣工  
      寝階屋根唐破風付銅版噴入母造り 
    随神門屋根銅板葺替  昭和59年8月竣工  

   明年、筑波研究学園都市に於いて開催される
  世紀の祭典科学万博つくば‘85を迎えるに当たり
  御造営の由来を録して広大無辺なる神明の御加護を深く感謝し、
  天下泰平国家安全、万民弥栄を精祈するものである。
     昭和59年9月吉日 
    筑波山神社御本殿造営奉賛会  

   筑波山頂境界確定記念碑 

 (碑文)
 延喜式の名神大社、筑波郡筑波山神社男女二神の神体山と崇められた筑波郡筑波山の北側境界は奈良時代に遡る筑波、真壁両郡の行政境界である。

 筑波郡筑波山は江戸時代には独立した行政単位で、その北側は真壁郡羽鳥村に隣接していた。

 明治の新政府で筑波山は筑波郡筑波町壱番地となり、羽鳥村は真壁郡紫尾村に編入された。 

 大正時代を経て昭和5年5月に当時に真壁郡紫尾村長泉榮一氏が筑波郡筑波町長原幹寿氏に筑波山頂男体女体間の分水嶺境界を主張して境界の確定を求めたが6年9月満州事変の勃発により中断した。  

 昭和20年8月、大東亜戦争が終結し戦後の市町村再編で柴尾を合併した真壁町が交渉を再開して、昭和32年8月12日水 戸地裁に行政境界の確定を求める訴訟を起こし、同38年4月16日真壁町が全面的に勝訴した。 

 筑波町は筑波山神社を補助参加人に加えて、東京高裁に控訴し、一審で主張してきた筑波山頂の北側に残る大木の現境界を改め、古来からの三方境お迎え石、大石重を結ぶ歴史的境界を主張して、その立証に成功し、昭和59年6月30日に逆転勝訴した。 

 真壁町は最高裁に上告したが、昭和61年5月29日上告棄却の判決があり、筑波郡筑波町と真壁郡真壁町との筑波山頂に於ける境界は、東京高等裁判所昭和38年ネ第1179号境界確定請求の判決通り、筑波山の女体山一等三角点を基点として測定された図面表示のイ点の三方境から ロ点お迎え石、ハ点石重、ニ点の石、ホ点駒返石、ヘ点の石、ト点の石、チ点の官林石標264号の各点を順次直線で結んだ線であると確定した。 

 ここに筑波山頂に於ける筑波、真壁両町の行政境界問題の発生より確定に至る経過を碌し、筑波、真壁両町が勝敗を度外視して心魂を傾け、霊峯筑波山の歴史伝統を明確にして誤りがなく護持し得た喜びを伝えると共に、特に筑波山神社境内地の歴史的境界に着眼して本件を勝訴に導いた神田五郎弁護士をはじめ、関係者の功績を称え永く顕彰するものである。  

 因に、筑波研究学園都市に市制が施行されることになり、昭和62年
11月30日筑波郡大穂町、同豊里町、同矢田部町と新治郡桜村の4ケ町村が合併してつくば市となり、昭和63年1月31日に筑波町がつくば市に合併して現在に至る。
   平成3年10月吉日
  茨城県つくば市大字筑波壱番地
  筑波山頂境界確定記念碑建設委員会  

 
    随神門 
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   御神橋  
   家光時代のままの御神橋  
 

 大御堂 

 小田氏一族の筑波氏は筑波山中禅寺の別当であった。中禅寺は徳一が開創したと伝えられ、幕末まで威勢を誇ったが、明治維新の廃仏毀釈によって大半の堂塔が失われた。坂東三十三観音霊場札所大御堂が中禅寺の遺跡を伝えている。
    平成13年12月31日 NHKテレビが放映


  

 

 

 


筑波山大御堂の除夜の鐘 

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  筑波山中腹の筑波山神杜に隣接する、板東三十三観音霊場第二十五番札所の筑波山大御堂のガマの油の創始者光誉上人のお寺、筑波山大御堂の鐘は明治5年(1872年)に壊され失われたが、平成13年(2001年)に、130年ぶりに復元された。 

 この年の12月7日、新築された鐘楼前で落慶法要が営まれ、大みそかから新年にかけての鐘の音は、NHKのテレビ中継に乗って全国に鳴り響いた。 

 筑波山大御堂は、千手観音菩薩を本尊として、延暦元年(782年)に建立されたと伝えられる。江戸時代は徳川家から江戸城鎮護の寺として手厚い保護を受け、和歌山県の高野山・金剛峰寺、長野市の善光寺と並んで「天下の三大御堂」ともいわれた。 

 明治初期の廃仏毀釈で堂塔などは打壊された際、本尊だけは信者によって運び出され難を逃れたが、釣り鐘は姿を消した。現在の本堂が完成した1961年以降も、寺から鐘の音が響くことはなかった。 

 釣り鐘復活のきっかけは平成8年、縁日(追難会)に訪れた信者の思いだった。「昔からご詠歌に『大御堂かねは筑波の峰にたて かたタ暮れに くにぞこひしき』と歌われているのに鐘がないのは寂しい」

 信者の多くが同じ思いだった。だが資金がない。檀家も1軒もない。庵主は悩んだ末、信者らの声に押されように決意し、全国に寄進を呼びかけた。4千千万円が集まった。

 京都の業者に発注した。鋳造が始まったのは平成12年9月。この年、京都・神護寺の鐘(国宝)が1100年の歴史の幕を下ろし、鐘楼から外されたのと同じ日だった。大御堂の釣鐘は、神護寺の鐘の生まれ変わりのように感じられる。

 鐘は直径97センチ、高さ161センチ、重さ約1トンの青銅製。宇治・平等院の鐘(国宝)と同型だ。

 今年もまた、21世紀の平和の鐘、心を安らげる鐘として、多くの人に伝わってほしい。




【関連記事】 筑波山神社の歴史 

 
   

謹賀新年 1月7日の筑波山神社および梅林の風景

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 1月7日、筑波山は快晴、冷たい風が吹いていたが視程良好、スカイツリーがよく見えた。水戸地方気象台によるとこの日、つくば市の瞬間最大風速は、9時52分、つくば市館野で西北西の風、風速17.1m/secであった。なお、茨城県内の最高風速は、下館市で、午前0時26分、西北西の風、21.2m/secであった。筑波山神社は、西北西の風が吹いていたので寒い一日であった。

 また、1月7日は七種粥の日である。春の七種を刻んで入れた七種粥を作って、万病を除くおまじないとして食べる。七種(ななくさ)は、前日の夜、俎に乗せ、囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。呪術的な意味ばかりでなく、おせち料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能がある。 

    「春の七種」とは以下の7種類である。
    (名前)     (現在の名称)          (科名) 
    芹           芹                          セリ科 
    薺           なずな(別名・ぺんぺん草)       アブラナ科 
    御形        母子草                      キク科 
    繁縷        繁縷                         ナデシコ科 
    仏の座     田平子(シソ科のホトケノザとは別のもの)    キク科 
    菘           蕪                          アブラナ科 
    蘿蔔        大根                         アブラナ科 

 中国ではこの日を「人日(じんじつ)」,「七日正月」といい、五節句のひとつである。
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日として、犯罪者に対する刑罰は行われないことにした。

  7種類の野菜を入れた羹を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草粥となった。日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着した。 

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  9 平成27年厄年の方

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  16 ケーブルカー宮脇駅から山頂を見る 


  17 スカイツリーが見えた

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  19 ケーブルカー、店内改装工事のため休業

  20 梅祭りは2月21日(土)から3月29日(日)まで


  21 梅林 「おもてなし館」建設工事中

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   24 紅梅、咲いているものが数個見える

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  26 梅林、スカイツリーが見えた


  27 橋の工事、2月10日まで

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  32 見返り縁台付近の梅

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  34 梅林入り口 

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第42回 筑波山梅まつり (平成27年2月21日~3月29日) 

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筑波山梅祭り  

■期間: 平成27年2月21日(土)~3月29日(日)
 

■ 春の訪れを感じる筑波山梅林 
  筑波山梅林の園内には,たくさんの見所があり「展望四阿」「富士見橋」「見返り縁台」「かねおれ橋」「せせらぎ橋」「菱露台」などの建築物が園内に点在している。それぞれの景観と筑波山梅まつりをお楽しむことができる。

 筑波山梅林は筑波山中腹(標高約250m付近)に位置し,4.5haの園内に,白梅・紅梅・緑がく梅などが植えられている。園内のいたるところには筑波石の巨岩が散在し,梅とのコントラストも素晴らしく筑波山を背景に絶好の写真スポットである。 

また,梅林最上部の「展望あずまや」からは,眼下に梅林全体を見渡せ山麓の田園風景や学園都市の街並み,好天日には東京の高層ビルや富士山までも見渡すことができ,関東富士見百景のひとつとなっている。
 

無料筑波山周遊バス<湯巡り号>のご案内 
 筑波山梅林から無料で筑波山旅館・ホテルや筑波山神社等を周遊できる「筑波山梅まつり無料周遊バス<温泉湯巡り号>」を3月1日、7日、8日、14日、15日、21日、22日(計7日間)に運行される。 

 運行ルート
 ①筑波山梅林→②観光案内所→③筑波山神社前(筑波山江戸屋・筑波山ホテル青木屋・ケーブルカー) 

→④つくばグランドホテル→②観光案内所前→①筑波山梅林⇔②観光案内所前⇔⑤つくば道入口(お食事処あおき)⇔⑥温泉センターつくば湯(彩香の宿一望・筑波温泉ホテル)⇔⑦常陸牛料理 筑波山ひたち野⇔⑧筑波山京成ホテル(つつじヶ丘・ロープウェイ) 

 ※③ではロータリーにて旋回いたします。江戸屋敷地内には入りません。

 筑波山江戸屋・筑波山神社・ホテル青木屋へお越しのお客様は③筑波山神社前にて降車ください。
 

筑波山と筑波山山麓の見所

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                  男体山の山頂
 
     男体山山頂から霞ヶ浦方向の眺め

        
      筑波山 御幸ケ原から男体山方向   

            



 
       道程元標 海抜八〇〇米   
 
          昭和天皇御製の碑                           


      御幸ケ原から女体山方向 


      関東の名峰 筑波山 
  朝に夕に色を変え、その美しさから「紫の山」「紫峰」とも呼ばれる筑波山、古くは万葉人もこの山を歌に読み、時代を経た今も関東の名山、緑あふれる自然郷として多くの人に親しまれている。
 標高877mの山頂からは関東平野が一望でき、またハイキングコースや自然研究路では、変化に富む自然に触れることができる。 
        ハイキングコース   (クリックすると拡大)       

            梅 林 


                    陽成院の歌碑 (梅林入口の向かい側)  
   
   
                    「ガマ口上発祥之地」碑    
     

             筑波山の大鳥居付近 
   鳥居を通って直進すると筑波山神社、鳥居の手前を左折すると市営駐車場、右折すると八郷方向に至る。

             藤田小四郎の像 
 


   
                              
 
                     小笠原長生の書 「筑波山神社」               
   【関連記事】
    「筑波山神社」を書いた子爵小笠原長生、清水の次郎長を語る

              御神橋 

    
                       

           随神門
         


     隋神門 説明文 
                       

                
         
            筑波山神社 
 筑波男ノ神(いざなぎ)、女ノ神(いざなみ)を祭神とする全国屈指の由緒ある神社。
 縁結びの夫婦和合の神として広く信仰を集めている。   

      

      


【関連記事】
筑波山信仰と物見遊山 昔も今も変らぬ男女の遊び


               光誉上人の墓                     
                    
 
                            神社裏手、宮脇駅隣 朝日稲荷                        

              筑波山神社 大御堂  

       *                            
 【関連記事】
 ガマ口上 「山寺の鐘がゴォーン ゴォーンと鳴る」筑波山 大御堂の鐘 



             宮脇駅前の階段  

 


   
       
          ケーブルカー 宮脇駅    
    休業:平成27年1月13日から3月3日   
     工事期間中、山頂へは徒歩で登るか、つつじヶ丘経由で行くことになります。
     *                      
   .                         

          宮脇駅から山頂を見る

     *           
      * 


                           男体山 山頂駅    
                 山頂の茶屋                             
               セキレイ岩   

     
          カタクリの里

 
             奇岩「ガマ石」
   今にも落下しそうな 「ガマの油口上」 ゆかりの「ガマ石」    

                   
                            2013年4月13日(金曜日)読売新聞茨城版   

                  つつじヶ丘 
              ロープウエイ女体山頂駅                

                      山頂駅展望台から霞ヶ浦方向                      
           展望台から男体山を見る                       
                      女体山山頂     


          女体山山頂の眺望


         北斗岩       


         裏面大黒   
 
         陰陽岩      

 
         出船入船


         胎内岩   


         弁慶七戻り

    *

 
 

         つくば市北条 --北条マップ-- 

     

 
             北条大池の桜
 
 


                      多気城跡 (つくば市北条 城山)      

                     多気太郎の墓         


            無量院    
 
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小田城主・八田知家の策略にはまり没落した多気城    

 
              蚕影神社の額
   




  


              平沢の万灯まつり   



          小田城跡遺跡

  
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 筑波山麓 国指定史跡 「小田城跡」    

 つくば市の「小田城」、落城と奪還を繰り返した防衛上の弱点は何か? 


                     


      筑波山の梅まつり (2月下旬から3月下旬)
 筑波山中腹に広がる市営の梅林で白梅・紅梅の花が見事である。好天時には富士山や東京が見える。
                   
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   ガマの油売り口上は、土・日曜日に筑波山神社随神門脇でも実施している。
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  第42回 筑波山梅まつり (平成27年2月21日~3月29日)

  第41回 筑波山梅まつり  平成26年2月22日(土)~3月23日(日)

   つくば市の特産品
 



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 筑波山の祭りカレンダー 

      筑波山観光案内所

 

 

筑波山の祭りカレンダー

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                 筑波山全景  筑波山神社と随神門

1月

  ●筑波山神社元旦祭 (1日)



 ●筑波山大御堂初護摩会 (1日)
 ●元始祭 (1月3日)
 ●成人祭 (1月第2月曜)
 ●筑波山大御堂初観音 (18日)
            
 ●平沢官衙遺跡 野焼き(1月末)

           (2014年1月25日)
 2月 
 ●筑波山神社 年越祭 (2月10日・11日)
   ●飯名神牡祭例 (旧正月の初巳)  
    


 ●泉子育観音 年越大祭 (11日) 
 ●筑波山大御堂追難会 (18日)
   ●筑波山神社 皇霊殿遥拝式 (春分の日)
 
 ●筑波山福寿草まつり  


 ●筑波山梅まつり 
     平成27年2月21日~3月29日  

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                           (2014年3月22日撮影) 
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  第42回 筑波山梅まつり (平成27年2月21日~3月29日)

  筑波山梅まつり開花状況 (2014年3月22日) 紅梅白梅満開、梅祭り23日まで延長

   筑波山の梅の状況 満開 2013年3月16日 (土曜日) 

 3月
 ●飯名神社祭礼 (旧正月の初巳)
 ●蚕影神社蚕糸祭 (下旬)
 
    
             
                  2013年4月6日(土曜日)常陽リビング12頁 

    4月
 ●筑波山神社春の御座替祭 (1日) 

 
            
                         2013年4月6日(土曜日)常陽リビンク 12頁  

●筑波山頂 カタクリの花まつり  
     見所: 筑波山頂カタクリの里  
   広さ約2ヘクタールの敷地内には薄紫色のカタクリの花が
     群生している。       
   筑波山ケーブルカー筑波山頂駅から徒歩3分  
   筑波山ロープウェイ女体山駅から徒歩10分  
                               
  カタクリ   
  丘陵地や山地の落葉樹林内に生じ、早春、ユリに似ているがやや小形で帯紅紫色の花を開く柔らかい球根性多年草。ユリ科。

  鱗茎は柱状披針形で、長さ5~6㎝、径約1㎝。花茎は高さ20~40㎝で、中央下部に1対の長楕円形で紫かっ色班のある葉をつける。花は径4~5㎝で、うなだれて咲く。

  6個の花被片は同形で披針形、長さ5~6cm、外巻し、紅紫色で基部内側に3裂する暗紫色の部分がある。内側には6個の雄しべと1個の雌しベがある。

  鱗茎は殿粉を含み、昔は採って煮食したりカタクリ粉を作った。若葉はゆでて食べることができる。 カタクリの根からとった殿粉を片栗粉という。白色の光沢ある粉末で、美味なため、昔は料理や片栗落雁(らくがん)など菓子の材料として用いられた。

  現在、カタクリ粉として市販されているものは、ジャガイモの殿粉である。 また食用の殿粉全体をカタクリ粉といっている。用途はクズ粉の代用として、くず湯にしたり、また “あんかけ”などに用いられる。
 

 
  
  北条大池の桜まつり

                    2014年4月5日(土曜日)15時頃 撮影 

【関連記事】 つくば市北条 大池公園の桜 満開! (4月5日)

          りんりんロード



                つくば市 『まるごと 筑波山』
         神郡から見た筑波山

                         2013年4月13日 撮影 

   
 ●筑波山つつじまつり (4月下旬~5月中旬) 


          つつじヶ丘        
           
    梅林のアジサイの花                                       2013年6月22日(土曜日)撮影、曇り  

 7月 
 ●小田八坂神牡祇園祭 (第3土曜日)
 ●北条祇園祭り (下旬) 
 ●筑波山七夕まつり (24日~27日) 


 8月 
 ●筑波山大御堂万灯会 (上旬) 
 ●平沢の万灯まつり(24日)
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 常陸の国は筑波の郡、歴史は古い筑波の正倉院 「国指定 平沢官衙遺跡」   
 



 ●まつりつくば(30日、31日)

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9月
 ●普門寺施餓鬼会 (彼岸中日) 

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  「つくば道」の神郡と普門寺の水戸天狗党の碑  

  ●筑波山ガマまつり (23日)
   (下図は平成26年のガマ祭り) 
                 
         
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                            がま祭り 神事 平成25年9月28日 13時~14時

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   ガマの油売り口上保存会の設立の経緯と「居合い抜き」

  9月28日開催の筑波山ガマまつりが近づいてきた!
                                    

 10月
  ●夜の筑波山空中散歩 スターヅストクルージング

 【関連記事】 夜の筑波山空中散歩 スターダストクルージング 10月11日 



 ●蚕影神社秋の大祭 (23日)

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   筑波山神社と姉妹の関係にある神郡の蚕影(こかげ)神社    

 11月
 ●筑波山神社秋の御座替祭 (1日)
 ●つくば物語 (上旬) 
 ●筑波山麓秋祭り (上旬) 
 ●筑波山紅葉まつり(1日~31日)   
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                筑波山神社 御神橋 2013年11月23日(土曜日)午前9時撮影 
 
                         筑波山ロープウエイ宮脇駅付近 2013年11月23日15時頃撮影   
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  筑波山は紅葉が真っ盛り  11月23日 

   筑波山ロープウェイ女体山駅 スターダストクルージング 夜の筑波山空中散歩 

  つくば山麓ハイキングコース

                          つくば市 『まるごと 筑波山』   
 

 12月 
 ●筑波山大御堂納観音 (18日)  

    
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  筑波山と筑波山山麓の見所


 

  

1月17日、筑波山の梅林は紅梅が咲き始めたが春はまだまだ遠い 

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 筑波山の梅林は紅梅が咲き始めたが、白梅の蕾は固く小さい。春はまだ遠い。
梅の種類ではないが、梅林の休憩所近くと筑波山神社随神門に「蝋梅」(ろうばい)という黄色い花が開いている。

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 2 「ホレストアドベンチャー」入り口


  3 「おもてなし館」 建設中

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  8 休憩所

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 14 見返り縁台付近の紅梅

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 22 つくば市内小学校児童の作品 

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 25  大杉 樹齢800年 「気」を貰う 

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  31 随神門の ロウ梅 
 ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅)は、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
 唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。

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  33 ケーブルカー運休


 34  8時頃の筑波山 霞んで見えた 
 

  


 

1月24日(土)の筑波山神社と梅林 

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                       ロウバイ 
 ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。

 筑波山神社、今日は寒く、風も冷たかった。お客さんも少なかったが徐々に見に来る人が増えた。どこからかやってきた猫が口上を見ていた。白梅が咲く3月上旬頃まではこのような状況が続くのだろう。

 梅林は紅梅が咲いているが、寒い日が続いたためか梅の花弁が黒く変色していた。梅林の下方の斜面に咲いている蠟梅は、盛りを過ぎたのか元気がなかった。
 建築中の「おもてなし館」は内装工事中であるが、梅まつりまでには完成するようだ。 

  1 快晴、視界良好 

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 9 梅林 建築中の「おもてなし館」

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 19 黄色の花 蠟梅 

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ガマ口上保存会の新年会 1月25日(日)

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1月25日、筑波山ガマ口上保存会の新年会を筑波山神社で開催、午前は随神門脇大杉前の広場で会員の口上実演した。
午後は神社でお祓いを受け、随神門脇大杉前の広場で居合の演技に続いて20代名人が口上を実演した。

  1 風も無く あたたかったので人出も多かった

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  3 「あすこのあった!」 習字を見る親子 


  4 集合

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  6 宮司さんから年をとっても「学ぶ」ことの大切さを聞く


  7 会長 

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  15  午後、会長挨拶

 
  16  居合の演武

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  27  名人 口上を披露  28
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本日天気晴朗なれども風強し 筑波山神社と梅林、1月31日(土曜日)

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        風が強く寒かったので観客がなかなか来ない。人が来るまで人形が代理
               
  筑波山は快晴、気温低く冷たい風が吹く肌寒い一日であったが、視程長大、スカイツリーがくっきり見えた。梅林は紅梅が咲いているが寒波のためか花弁が黒ずんでいる。 登山客、参拝客がちらほら見えた。

  韓国から来た一家がガマの油売り口上を聞きたいとのことであったが、日本語が理解できたかどうか。かの国の大統領は、日本を千年恨むと言ったが、我々日本人は度量が大きいので、たとえ相手が韓国人であっても理解できるよう懇切丁寧に説明しつつ展示した。笑顔が返ってきたので 日韓親善にチョッピリ寄与したものと思う。 

  1  筑波山 午前8時頃 

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  3  8時30分ころ、冨士山が見えた 


  4  地平線の中央部にスカイツリーがみえる、私のカメラではくっきり写らないが 


  5  2月3日 節分 

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  8 御神橋付近、 白梅

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  10  西山地区から山頂を見る 


  11  西山地区から東京方向 スカイツリーが地平線中央部に見えたが・・・・。


  12 白雲橋経由女体山に登る人


  13  韓国から来た一家、韓国にはガマガエルはいないと言っていた。


  14  動作で口上のアラスジを理解したようだ。


  15 左 フォレストアドベンチャー方向 


  16  フォレストアドベンチャーへの通路を造成中


  17 「おもてなし館」周辺を整地中

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  25 見返り縁台近くから東京方向を見る 15時頃

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建国記念の日(平成17年2月11日)、筑波山神社の年越祭、豆撒きの風景 

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 2月10日(火曜日)、11日(水曜日)、筑波山神社は年越祭神事の一環として豆撒きが行われた。11日は天気快晴、風もなく穏やかであったので、普段、めったに見かけない大勢の人が集まっていた。何処からこんなに多くの人がやってきたのだろうかと思う程の混雑ぶりであった。大人も小学生以下の幼児も一群となって投げられたものを我先に拾い集めようとしていたが、安全管理のためには幼児の参加は自粛すべきかなと思った。

 総じて年配の女性は、周囲の男衆より数倍も多く拾い集めていた。あたかもスーパーの特売日の商品を買い求めるため売り場に殺到するシーンを蓮想させる程のすさまじさであった。私が手にした菓子袋の手の上に誰かが手を載せたと思ったら、横にいた熟年の女性が私の手にあった菓子の袋をむしり取った。押し合いへしあい熟年女性のたくましさと言うのだろう。隣にいた熟年の男の人も同じことを話していた。 
 投稿の写真は、2月11日の筑波山神社の風景である。

  1 午前8時頃の筑波山 

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  3  午前11頃


  4  来福豆 袋の中にくじ引きの券が入っている。空くじは無いので、買えば景品がもらえる。  
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  9 午後1時頃

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  11 普段、見かけない人の数 

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   13 予定の時間になったが、まだ始まらない。 

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  15 1回目の豆撒き、これから始まるところ。  

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  17 小さい物はなかなか捕らえることができない。 


  18 御年男の記念撮影

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  20 私の”戦果”


   
 

筑波山梅林 梅の開花状況 2月11日(水)  

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 筑波山梅林は4.5haの園内には,白梅・紅梅・緑がく梅などが植えられている。2月1日現在、紅梅は大分咲いているが、寒い日が続くためか花弁が黒ずんでいる。鮮やかな紅色とは言い難い。

 白梅はまだ蕾(つぼみ)で、ところどころで一つ二つと咲いている。「匂いよこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」、白梅は春がやって来たことを知らないようだ。

 林道から梅林最上部の「展望あずまや」までは,木道(全長130m)が整備してあり,緩やかな傾斜でお年寄りの方や足の不自由な方でも楽に登れる。現在「展望あずまや」は補修工事中である。

以下の写真は、2月11日(水)午前9時から9時30分頃の梅林の状況である。
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筑波山梅林の「筑波山おもてなし館」完成!

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 筑波山梅林の「旧おたちあい」跡に建築中であった「筑波山おもてなし館」が完成した。
梅林入口に新たに設けられた道は木の砕片が敷き詰められているので歩きやすく、林を抜けると「筑波山おもてなし館」の広場に出るようになっている。

「筑波山おもてなし館」とホレストアドベンチャーは、一体となって運営される(?)ような作りである。寒い一日であったが、梅林の駐車場はホレストアドベンチャーに来た人の車が多数駐車していた。 
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  26 ホレストアドベンチャーに来た人の車、満車状態 


  

筑波山梅林の「フォレストアドベンチャー・つくば」

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フォレストアドベンチャー・つくば
 筑波山梅林、旧ガマ公園に位置する「フォレストアドベンチャー・つくば」(つくば市沼田1688)は、アドベンチャーコース全4サイト、日本初登場を含む46のアクティビティから成り立っている。 

 中でも、約1000本もの梅が広がる筑波山梅林の上を滑空する100mのジップスライドが魅力である。2月下旬から3月下旬は、満開の梅林を眼下に見下ろしてのジップスライドは大迫力間違いなし。本施設はアドベンチャーコースのみであるので、小学校4年生以上または身長140cm以上の人が対象となっている。

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筑波山梅林 梅の開花状況 2月14日(土)

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筑波山梅林の開花状況 2月14日(土)
 快晴で視程長大、富士山がよく見えた。梅林の紅梅は大分咲いてきたが、白梅はまだ蕾(つぼみ)が目立つ。建築中であった「筑波山おもてなし館」が完成した。梅林の上の地区にあった展望「あずま」の補修工事は2月19日で終わる。写真は午前9時から9時30分に撮影した。

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筑波山梅林の「筑波山おもてなし館」完成! 

筑波山梅林の「フォレストアドベンチャー・つくば」  第42回 筑波山梅まつり (平成27年2月21日~3月29日)      

ガマの油売りの「筑波乃正伍郎」さんは、筑波山神社に相応しい宮大工さん

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             宮大工の筑波乃正伍郎さん   
  
  ガマの油売り口上を演ずる寺田さんは、「木組み」という日本古来の特殊な工法で神社仏閣を建築・補修する技術を持つ、数少ない宮大工さんである。寺田さんの工房には、修復倣頼を受けている築400年以上のお宮に使う小さな部材がきれいに箱に並べてある。大工歴40年超、細かな彫刻を施すために使う100種類以上ものノミが宮大工としての技術の高さを表している。 

  寺田さんは「寺田建築代表寺田正男」、別名「筑波乃正伍郎」という筑波山名物、ガマの油売り口上保存会の会員である。ガマの油売り口上と出会う前は、“典型的”な無口な職人で人と話すことも会うことも苦手、地区の集まりも女房に行かせていたと語っている。 

  その寺田さんが変わったのは、10年くらい前、大衆演劇のファンで、写真を撮ったり、遠くは名古屋まで観に行ったことだった。“追っかけ”をやっているうちに次は自分が観られる側に立ってみたいって思うようになった。「南京たますだれ」と「ガマの油売り」に出合い、「自分でもできるかな」と思い講習を受けたとのことである。それが、今では週末になると筑波山神社で口上を演じる常連、昨年1年間で筑波山神社に通った回数は約70回に上る。

 また、写真の腕前も相当なもの、プロ並みである。寺田さんの工房には、この時に撮影し大きなパネルに貼った役者さんの写真が多数保管されている。南京玉すだれも上手い、能面も彫る。これはと思ったことに打ち込む姿勢、ひたむきな姿に接すると、これが職人さんなのだとつくづく思う。 

 筑波山神社・随神門脇の広場で口上を演じる時、他の者が口上を演じて時間に余裕が有るときには、自ら手がけているお宮の建築に使う部材を彫りながら、筑波山神社や随神門を指し示しつつ“今彫っているのは○○の部分だ”と説明してくれる。度々これを聞いていると筑波山神社も随神門も重機がない時代に、大小様々、多数の部材を釘一つ使わず地震にもびくともしないように作られていることが分かる。

 以前であれば、古いが立派な建物だとしか表面的にしか見ていんなかったであろう神社や門が見事な建築物であることが徐々に分かってくる。“猫に小判”とか“明き盲、(あきめくら)”と言う言葉がある。寺田さんに出会わなければ、由緒ある神社や門を“見ても見えず”、“聞いても聞こえず”で、日本の歴史的建造物の見事さ、技術の高さを理解することはできなかったはずである。

 ガマの油売り口上、南兄玉すだれ、能面づくり、尺八と多くの趣味を持つ寺田さんは、筑波山神社でガマの油売り口上を演ずるにふさわしい宮大工さんである。
       竜ヶ崎市の㈱竹屋の業界紙 『ももいろバンブー通信 2月号』(2015年2月1日発行)  

筑波山神社 随神門 
    トラックや重機がない時代に木材を運びあげ建てる労力、人より太い木材を左右に組み立てる技術、多数の部材の設計図など考えると奥が深い。 釘を一本も使わなくても地震があってもびくともしない。

  
  屋根 
  多数の木材がしっかり固定されている。  雨は下の石で作られた溝に落ちるようになっている。

  門の内部
   左右上下に組み込まれた太い木材

   がたつかないよう しっかり固定されている。

つくば道
  北条の街からホテル・青木屋の横を経て筑波山神社へ至る「つくば道」。
  神社造営の木材はこの道を運ばれた。多数の人馬が行き交った。   
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  上の写真の道と並行に設けられた道 坂が緩やかになっている。

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徳川幕府の筑波山信仰と門前町の形成 
 慶長7年(1602)に徳川家康は、筑波山神領として供僧別当(ぐそうべっとう、住職)あてに筑波郷5百石を寄進した。さらに慶長15年に家康はこの500石を筑波山神社の別当寺である知足院あてに寄進し直している。 

 筑波山は江戸城の北東方向にあり、この方角は鬼が出入りする鬼門といわれ、何事にも忌み嫌われていた。そこでこの方角に神仏を祀り、災難を除き避けようとして知足院を保護した。以来、知足院は江戸城鎮護の霊山として信仰され、幕府の祈願所となった。 

 知足院の僧となった光誉は2代将軍の秀忠との関係を強め、江戸城奥向きの祈祷に関与し、江戸に護摩堂を建立した。これが江戸知足院である。

 3代将軍家光は寛永3年(1626)から幕府の費用による筑波山諸堂社の造営に着手し、10年には知足院中禅寺の本堂(大御堂)、山頂の両本社、摂社や三重塔、楼門などの付属の建物が落成しました。新築されたたくさんの堂社は目を見張るばかりの美しさであったと伝えられている。 

 建築資材を運ぶために北条(現在、つくば市)から新たに道路を作り、これを参詣者のための登山路とした。山腹の登山道の両側には諸職人を住まわせ、知足院を中心に30数軒の僧坊が建てられ、宿屋、土産物屋、遊女屋、小間物屋などができて門前町が成立した。 


【関連記事】 

筑波山神社の歴史
     
江戸時代の信仰 千社詣と筑波山神社の千社札 


  

筑波山地域をジオパークに 

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ジオパークとは? 
 「大地の公園」とも言われ、大地のことを学び、楽しむことを通して地域の魅力をより実感することができる、地層・岩石・地形・火山・断層など地球科学的に見て貴重な見どころを地域の資産として有機的に結び付けた場所である。

 ジオ(地球・大地)に関わる遺産を保護し研究に活用するとともに、自然と人間との関わりを理解する場所と」して整備し科学教育や防災教育の場として、また新たな観光資源として地域の振興に活かすことができる。 
      「筑波山地域ジオパーク」の対象地域   
       
 まず、地元にある すばらしい地球の自然環境に気付き、それらを知ることから始まる。その意味や重要性を理解し、保護して、活用していこうという意識が地域住民の間に芽生え、発展させる地域こそが、ジオパークにふさわしいと言われている。 

 ジオパークのブランドを得ると、国内はもとより世界に向けて、この地域特有の魅力を発信する機会が増える。ジオツアーや各種関連イベントの開催、ジオパーク関連商品の開発などを地域が積極的に推し進めることで、ジオパークの魅力をさらに高めることができる。

 日本列島は、太平洋などの海域にたまった堆積物が西へ移動するプレートの沈み込みとともに当時の目本列島の源が位置していたユーラシア大陸東縁(現在の中国東部)に付加した岩石が、さらに中生代白亜紀以降に幾多の火成・変成作用を受けた複雑な地史を有している。 

 筑波山から霞ケ浦にかけた地域には、生活に恵みを与えてくれる森や山、湖などの自然に支えられた営みであり、生き物、歴史と文化、風土や民俗、そして信仰など、多くのジオサイトが集まっている。「目本百名山」のひとつで「西の富士、東の筑波」と並び称される筑波山は、信仰の対象として保護され、学術的にも珍しい植物や昆虫、野鳥も数多く見られる貴重な“自然の宝庫"である。 

 筑波山のおよそ7千万年の時間を経た稲田石や筑波石が、氷河時代から現在にいたる山と平野と海の歴史を見下ろしてきた。現在の関束平野と束京湾の生い立ちが残されている霞ケ浦のまわりには、夕陽を受けた筑波山の'“紫峰"を見上げながら刻まれた、地形と風土、そして文化の記憶が多く残されている。
 
      
 本地域には筑波山や加波山、愛宕山等の山々で構成される筑波山塊がある。また、その周りには台地や低地からなる関東平野が広がっている。そして、筑波山塊に源を発し、平野部を流れる河川は南束部にある霞ケ浦へと注いでいる。 

「筑波山地域」の成り立ち
 地下10kmのダイナミズム ~ 筑波山ができるまで ~

 海の底の時代 (約2.5億年~1.5億年前)  
     
中生代三畳紀~ジュラ紀頃、この一帯は深い海の底でした。そこでは泥や砂などが積み重なって厚い地層ができた。 

地下マグマの時代 1 (約7500万年前)  
     
 恐竜がいた時代である中生代白亜紀の後期になると、地下の堆積岩層のなかにマグマが入り込み、ゆっくりと冷えて斑れい岩ができた。 

地下マグマの時代 2 (6000万年前) 
     
 恐竜が絶滅したあとの白亜紀末から新生代古第三紀のはじめにかけて、地下に再びマグマが大規模に入り込んだ。このマグマはやがて冷えて花南岩になった。 

隆起と侵食の時代 (約5000万年前~現在) 
     
 筑波山塊一帯が隆起しはじめた。地表では侵食が進み、やがて新生代中頃になると斑れい岩や花崗岩が地表に露出し、後に筑波山になった。 
【関連記事】 筑波山の生い立ち 筑波山は噴火しない安全な山  

海抜0mの神秘 ~海水準変動と海岸線の変遷~ 

 古東京湾の時代  
     
 旧石器時代の関東平野 
     
 縄文海進と海の流入 
     
 現在 (利根川流路変更、霞ケ浦淡水化などの入工的改変もなされた)  
      

 最終間氷期には海水面が上昇して古東京湾とよばれる浅海が広範囲に広がり、当時の海岸線は筑波山麓に達していた。

やがて氷期を迎えて海水準が下がると、河川が台地を下刻して谷が形成された。当時の地層からはナウマンゾウの化石などが産出している。

 縄文時代前期には、温暖な気候のもとで谷に海水が入り込み、やがて土砂が深い谷間を埋めて、低地が形成された。当時の海岸線付近には貝塚が多数残されており、人々の生活の様子がうかがえる。
 霞ケ浦は近世になって海の入り江から汽水湖、そして淡水湖へと姿を変えてきた。 

(参照資料)
『めざせ! 筑波山地域ジオパーク』(筑波山地域ジオパーク推進協議会)
『筑波山地域ジオパーク構想』(筑波山地域ジオパーク推進協議会事務局)

 

筑波山梅林 2月21日 梅の開花状況、 今日から梅まつりが始まった

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      「おもてなし館」のテープカット 梅まつりが始まった

 筑波山梅林の梅まつりが今日、21日から始まった。梅の開花状況は紅梅が5分咲き、白梅は ちらほら咲いてはいるが、ほとんどがつぼみである。
  11時から新装なった「おもてなし館」テープカット、梅まつりの神事及び梅まつりの開会式が行われた。 開会式に続き、ガマの油口上保存会の金野名人のガマの油売り口上の実演、太鼓演奏、よさこいソーラン、ガマの油売り口上及び浅草大道芸一座の大道芸が披露された。梅林の梅を撮影した時刻は、薄い雲が出て来た12時頃から13時頃である。

  1  2月21日 日本列島は高気圧に覆われていたが・・・・。
      
  2  空には薄い雲が見えた。薄い雲でも覆われると寒く感じた。
      
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                                                     (天気図: 日本気象協会)

  4 午前8時頃、地面に霜がおりていた、筑波山が霞んで見えた。


  5  梅林の入り口 紅梅5分咲き 


  6  看板の隣の梅 つぼみ


  7  木によっては咲いている


  8 太鼓 演奏前の予行 外国人の母子も参加 上手かった いいね!


  9  子供はどの子も小学生 皆さん上手かった!

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  11  つくば市長の挨拶


  12 テープカット 「おもてなし館」通年開館、コーヒー100円 


  13 梅まつりの神事

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  17 つくば観光大使と東京都足立区モニターツアーの人 


  18 金野名人、ガマの油売り口上


  19  よさこいソーラン この人たちは元気がいいね! 若いッ!。


  20 つくば観光大使 今年はイケメンも大使に就任

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  22 空には薄い雲、何となく梅林も薄暗い。 

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【関連記事】
秘伝 ガマの油売り口上  

ガマの油売り口上保存会の設立の経緯と「居合い抜き」       

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筑波山地域ジオサポーターズクラブ通信 霞ヶ浦特集

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筑波山梅林 梅の開花状況 2月28日(土)  

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筑波山梅林 2月28日の開花状況 
紅梅は満開、白梅もところどころで咲いている。快晴で暖かったので多くに人が来ていた。

  1 午前8時頃 山腹中央白い建物の左、ピンクの部分が梅林

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  3 紅梅満開

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