つくば市の「小田城」、落城と奪還を繰り返した防御上の弱点は何か
小田城跡を望む中央部のやや右桜の林(ピンク色)からその左の林の一帯、背後の山は筑波山 小田城は軍事的拠点には適さない 政治力のシンボル 小田城は建久3年(1192)八田知家によって築城された。筑波山に続く宝筺山(ほうきょうざん)、俗に小田山と呼ばれている南麓の地にあり、約1キロ四方に及び、四重の土塁と四重の堀をめぐらした大規模な城であった。...
View Article第49回筑波山梅まつり 2022年年2月23日、天皇誕生日 筑波山梅林の開花状況
令和4年2月23日(水)10時20分頃撮影 令和4年2月23日(水)、「天皇誕生日」 筑波山梅林の開花状況...
View Article第49回筑波山梅まつり(延期)2022年年3月6日(日)の筑波山梅林の開花状況
撮影時刻は2022年3月6日(日)8時30分~9時30分 第49回筑波山梅まつり(延期) 2022年年3月6日(日)、 筑波山梅林の開花状況 筑波山の梅まつりは3月13日(日)まで予定されていたが、コロナの蔓延防止のため延期となった。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (4)
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (3) の続き 第10章 3 半蔵は馬籠本陣の方にいて、この水戸浪士を待ち受けた。彼が贄川(にえがわ)や福島の庄屋と共に急いで江戸を立って来たのは10月下旬で、ようやく浪士らの西上が伝えらるるころであった。時と場合により、街道の混乱から村民を護(まも)らねばならないとの彼の考えは、すでにそのころに起こって来た。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(2)和田峠進出、諏訪藩との戦い
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (1) の続き 第10章 1 〔和田峠における諏訪藩の防備〕 和田峠の上には諏訪藩の斥候隊が集まった。藩士菅沼恩右衛門、同じく栗田市兵衛の2人は御取次御使番(おとりつぎおつかいばん)という格で伝令の任務を果たすため5人ずつの従者を引率して来ている。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(3)浪士の行列・伊那へ進出
島崎藤村「夜明け前」は日本の近代文学を代表する小説である。 米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭)を舞台に、主人公青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作である。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(1)筑波党の成員、高崎・下仁田、望月宿へ
島崎藤村「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 島崎藤村「夜明け前」は日本の近代文学を代表する小説である。 米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭)を舞台に、主人公青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作である。...
View Article水戸学の尊王攘夷思想と天狗党の乱及び勤皇志士の動向 (2)
水戸学の尊王攘夷思想と天狗党の乱及び勤皇志士の動向 (1) の続き江戸幕府の衰亡 江戸幕府は、3代将軍家光に至って、あらゆる機構が整い、武家政治は完成された形を示したが、5代将軍綱吉に至って、幕府の太平が謳歌される傍ら、綱吉の偏執的な性格や、生類憐愍令や、悪貨鋳造などからの影響もあって、太平の余弊たる享楽主義が天下を風靡した。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(5)水戸浪士通過後の馬籠
島崎藤村「夜明け前」は日本の近代文学を代表する小説である。米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭)を舞台に、主人公青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作である。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (6)
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (5)の続き こんな話を伝え聞いた土地のものは、いずれもその水戸武士の態度に打たれた。あれほどの恐怖をまき散らして行ったあとにもかかわらず、浪士らに対して好意を寄せるものも決して少なくはなかったのだ。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (7)
馬籠宿の人々は水戸天狗党や幕府などの動きをどうとらえていたのか、「夜明け前」第1部に描かれた水戸天狗党についての記述を抜粋する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (6) の続き 第11章 2...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (8)
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (7) 続き ここですこしく平田門人の位置を知る必要がある。篤胤の学説に心を傾けたものは武士階級に少なく、その多くは庄屋、本陣、問屋、医者、もしくは百姓、町人であった。 先師篤胤その人がすでに医者の出であり、師の師なる本居宣長もまた医者であった。 半蔵らの旧師宮川寛斎が中津川の医者であったことも偶然ではない。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(9)浪士ら最期のこと
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (8)の続き 第11章 3〔元治2年の3月 馬籠宿〕 元治2年の3月になった。恵那山の谷の雪が溶けはじめた季節を迎えて、山麓にある馬籠の宿場も活気づいた、伊勢参りは出発する。 中津川商人はやって来る。...
View Article島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党(10)水戸浪士の処刑
島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (9) の続き 〔加州藩の対応〕 降蔵の話によると、彼は水戸浪士中の幹部のものが3、4人の供を連れ、いずれも平服で加州の陣屋へ趣くところを目撃したという。 加州からも平服で周旋に来て、浪士らが京都へ嘆願の趣はかなわせるようせいぜい尽力するとの風聞であった。 それから加州方からは毎日のように兵糧の応援があった。...
View Article2022年4月17日(日)筑波山神社の風景 ウクライナの戦禍に募金する人が多い
2022年4月17日(日)筑波山神社の風景 午前は日差しがあったが午後は曇り空で気温が低かった。新型コロナのため途絶えていた挙式やお宮参りの光景を久しぶりに見ることができた。登山客の数も、この時期としてはコロナ禍の前と同じかなと思った。つくば市議会の呼び掛けに応えウクライナの戦禍に対する募金を実施しているが、寄付する人が多く感謝しています。 1 2「お嫁さん、きれいだなー」と言ったら、...
View Article令和4年5月3日 憲法記念日 快晴、筑波山神社の風景
令和4年5月3日 憲法記念日 快晴、 連休の中日、筑波山神社には大勢の登山客が訪れていた。 徒歩で山頂を目指す人、ケーブルカーに乗る人、共に多かった。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 15時頃の風景
View Article農村の崩壊と百姓一挨「下の非はなくして、皆上の非なるより起れり」
一揆の様子 平凡社「世界大百科事典 2」初版 108頁 抑(そもそも)此事の起るを考ふるに、いづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり。 「胡麻の油と百姓は、絞れば絞る程出る物也」 18世紀以降、農村の荒廃が進み、大名側は財政窮乏のあまり、年貢を徴収するためには「農民を責め虐げるより外」に方法がなくなった。...
View Article「つくば道」の神郡と普門寺の水戸天狗党の碑
神郡の街並 江戸城の鬼門(東北方)を守る筑波山の中禅寺(現・筑波山神社)を改築するために、3代将軍・徳川家光により整備された北条~神郡~筑波をつなぐ運搬路は、後に参詣道として発展して「つくば道」と呼ばれ、現在「日本の道100選」の一つである。 神郡から筑波山を望む 北に筑波山を仰ぎ、東に連なる山々がのびる神郡。...
View Article水戸藩の紅葉運河掘削事業と農民の勝利に終わった宝永一揆
水戸藩の紅葉運河掘削事業と 農民の勝利に終わった宝永一揆 水戸藩 財政難の原因 水戸藩は、徳川氏の親藩で三家の一つで、家康の第11子頼房が1609年(慶長14)封ぜられて成立した。石高はじめ25万石、1622年(元和8)28万石、1701年(元禄14)35万石であった。支藩の陸奥守山2万石、常陸府中2万石、同宍戸2万石である。...
View Article